10年前に小説家を引退した私は、毎日それなりにせわしなく過ごして暮らしてきた。子供の頃から人と交わるのが苦手だったので、自分で自由に時間を使うことには長けていた。それに他人の人生の責任を負うことには、異様なまでの恐怖心があった。
そんな私もかつて家庭をもったことがあった。子供ができたことがきっかけだったが、一般的な家庭に育った経験のない私は、夫とはどうするべきなのか、父として何をするべきかがわからなかった。仕事場としてマンションを別に借り、そこでただただ小説を書いて過ごした。何年も何年も。
ある日、妻はそんな私に愛想を尽かして、幼い娘を連れて私の元を去っていった。
あれから、もう約20年になる。私は娘の口座に毎月お金を降り込んでいたが、かつての妻と娘が一体何処で何をしているのかを知らなかった。
そんなある日のこと。
私の元に地方のある出版社の若い女性から連絡があった。
「ぜひお話をさせていただきたい」
1週間後、私はその女性と都内の某駅前の純喫茶で会った。
そして、その女性は彼女の親友から私への贈り物として、ほんのり紅色した原稿用紙を渡してくれた。それは小さな桜の花びらが映っている本美濃紙で作ったものだった。
これはずっと以前から「書こう、書こう」と思って、やっと書いた作品。
ストーリーはもう10年以上前に考えていました。
で、書く機会がなくて、そのまま放置していました。
和紙についてもかなり調べました。
作品を書く時、いろいろなことを調べてから書く時がありますが、それはそれで勉強ができて楽しいです。
新たな知識を得ることはとても嬉しいです。
今はインターネットでいくらでも調べられますから。
しかも、短時間で。
以前はずっと図書館でしたから。
何日間も通い詰めて調べていました。
ほんと、ネットばんざいです。
2023年作。
バブル経済が崩壊して、1年前に都市銀行をリストラされた私は、その後長年連れ添った妻とも離婚し、今はやたいのサンドイッチ屋を始めて、あちこち移動して販売する毎日を送っていた。
この仕事を初めて半年が経つが、ここへきてやっと生活にも余裕ができて、先月から少しずつだが貯金もできるようになった。もっとも行員時代の給料と比べると、雲泥の差だが。
そんな私を支えたのは、行員時代の部下の茜だった。私とは親子ほどの年が離れていたが、それでもいつも傍にいてくれて、弱くてどうしようもない私を励まし続けてくれた。
そんな茜に、今日私は1つの大切な気持ちを伝えようとしていた。
この作品はかなり古い。
バブル経済が弾けた後に書いた作品です。
本当にあの頃はいろいろありませした。
今では考えられないようなこともたくさんありました。
バブル経済の時も、崩壊したその直後も。
「昔は良かった」と言うつもりはありません。
ただ、トータルで言うと、やはり今の方がいいはずです。
当時の社会の悪い点は改善されたはずですから。
それでも、世の中は新たな課題も生まれてきて。
でも、改善されていく。
世の中って、そんなもんですよね。
一気に変わるなんてないです。
だからこそ、ブレない自分軸を持たなければいけませんね。
それと、何でもかんでも社会や人のせいにしない。
自分で考え、精一杯努力していく。
実にシンプルです。
バブル経済の前も後も生きていると、ついそんなことを考えてしまいます。
1998年作。